石見銀山遺跡とその文化的景観


龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)

石見銀山は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)です。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定され、2007年(平成19年)7月2日にユネスコの世界文化遺産へ正式登録されました。

石見銀山遺跡は、島根県のほぼ真ん中に位置する大田市大森町を中心とし、旧温泉津町、旧仁摩町を含めた現大田市の広い範囲に広がる遺跡です。 遺跡の範囲は大きく3つに分けられ、「銀鉱山跡と鉱山町」「街道(石見銀山街道)」「港と港町」からなります。



大森地区の町並み

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「銀鉱山跡と鉱山町」

石見銀山遺跡の中核であり、16世紀から20世紀にかけて採掘から精錬まで行われた銀鉱山跡と、その麓の谷間に細長く存在するかつての鉱山町から成り、さらにこの銀鉱山を軍事的に守護するための周辺の山城跡が含まれています。

 銀山柵内と呼ばれた銀鉱山跡には、数多くの採掘跡やこれに近接して一体となる作業場跡等の生産・生活関連の要素、神社・寺院等の信仰関連の要素、山吹城跡・柵列跡・番所跡等の支配関連の要素など、相互に関連しあう諸要素がよく残り、独特の土地利用の在り方を示しています。



清水谷製錬所跡

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 鉱山町は南北約2.8qの歴史的な町並みであり、北側の大森地区と南側の銀山地区の2つの地区に区分されます。大森地区には武家・商家・寺院など、様々な身分や職業の人々が混在して居住する町並みが展開し、銀山地区には当時人々が集住したかつての町場の地割の跡や寺院などの信仰の痕跡が残っています。


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